いしはらの上京してから。

福岡→東京 就職を機に福岡から上京し、楽しくやっている様子。

本当に「募金」でいいのか?と同世代に問いたい。

渋谷駅からちょっと歩くだけで、熊本地震の募金のために立って声を出している人たちをたくさん見かける。

 

一箇所にだいたい5人前後、多いところで10人近くが並んで「お願いします!」と募っている。頑張ってるな、協力したいなと思う一方で、なんだろう、うーんと思う自分がいる。

 

募金活動をしている人たちを見るといつも思う感情があって、今日はいつもより少しだけその感情について考えてみた。

少し前までは、募金活動を率先してやっている人たちは皆懸命で凄いな、尊いな、と漠然と感じていたのだけれど、東北の震災の後からこの凄くムズムズする感情を抱き始めた。

もちろん9割以上の方は必死に被災地の大変さを訴えながら、頭を下げながらやっているし、その行動は尊いと今も思う。

ある時、震災の話題も少し落ち着いてきたころ、福岡の中心・天神で募金を呼びかけていたあるグループを見てから募金活動に対して批判的になってしまった時期があった。

 

彼らは10以上の大所帯で呼びかけていたが、実際に声を出していたのは3人ほど、

残りは、フラフラしながら、談笑している。

あろうことか、彼らは自分が通っている大学のボランティアサークルのメンバーだった。

これほどショックな光景があろうか。怒りがこみ上げたのは言うまでもない。

それよりも恥ずかしさでいっぱいだったし、学校へ通告する気も起きなかった。

 

きっと彼らは就活で役に立ちそう、とかそういう軽い気持ちでやっているんだろうと思うと凄く悲しい気持ちになった。

それまでの僕は、募金活動を見かけたら、極力持ち合わせている小銭程度は入れるようにしていたが、震災を機に、いつも募金箱にお金を入れていたらキリがないなということでいつの間にか目をそらすようになっていた。

 

東北震災直後の天神といえば、本当に100m間隔で誰かが募金活動をして、叫んでいるようなイメージだった。

別の場所で入れたけど、この目の前の彼らを素通りするのがなんとなく気まずいような気がしたし、そういう話を誰かとして同じように感じている人もいた。

 

 

今回の熊本地震では、被害の大きさがわかってきた直後からかなり速いスピードで、ヤフーを始め、多くネット上での募金を集める場所が設置されたイメージがある。

今日現在たくさんの募金が集まっていることが発表されているが、このような募金が短期間に大量に集まったのは、インターネットの恩恵だろう。

 

今日はたまたまゆっくりできるランチの場所を探して、渋谷駅の周りをちょうど一周したけれど、

募金活動をしていたの人たちを10組弱見かけたから、5人×10で少なくとも50人は募金を呼びかけていただろう。都内で考えたらもっとかなりの数がいそうだ。

 

さて、僕が抱くこのモヤモヤは、本当街頭で募金を呼びかける必要があるのだろうか、という問いであり、必ずしも絶対必要だとは思えないが、それに代わるいい案があるわけでもない、という矛盾した感情だ。

呼びかけをしていた人のほとんどは学生。

大きな被害を受けた熊本、大分のために何かしたいけれどわからない、とかとりあえずすぐ出来る募金をと始めた人も少なくないのではと思う。

 

ただ、1日立って通行者に呼びかけてどれくらい集まるのだろうか。

募金はネットでたくさん集まるのだから、役割を分担してもいいのではないか。

それより、一箇所に2,3人ならまだしも、同じ場所に7人も8人も立ったとしても入れるのは一つの箱なんだから、もっと工夫のしようがあるのではないか。

 

若者が10人もいればかなりのエネルギーがあるのだから、もっと別の方法でお金を集めれば、もっとたくさんの援助ができるのではないかと、どうしても考えてしまう。

 

同じ募金をするにしても、あまりにベクトルが募金を入れてしまう人にしか向いていない(あまりにもお願いします感が強い)印象を受けるグループもいる。

 

一方、渋谷エリアを一周して一組面白いグループに出会えた。

男5人で浴衣を着て、刀を腰に差して侍的な格好で街を練り歩き、入れてくれた人には立ち止まって全員でドスの効いた声で「ありがとうございますぅ!!」というもの。

特に外国人はこぞって面白がり、子供達もたくさんいれて、たった数メートル歩く間に何度もお礼をいう羽目になっていた光景だ。

 

こういうグループは見る側もなんか面白くて思わず笑ってしまうし、お金をいれた側もハッピー、たくさんの人があげた写真がSNSで拡散されて話題になって人が集まりいれてもらえる…。

多くの団体がくまモンの絵を描いたプレートを始め、熊本をアピールしている一方、かれらは募金箱にちょっと「熊本地震の募金」というようなことを書いているだけで、大々的に地震の募金であることをアピールはしていないのだ。

(確かに、今募金箱を持っているんだからおそらく地震の募金だとは、日本人でなくても検討がつく)

 

凄く差別化されていて、感銘を受けた。

どうしても、「大変です」という空気をどのグループもまといながら、街の至る所でやっていたら空気としても伝播するし、通行者も日本人の特性上その近くでは顔を俯きつつ通り過ぎるから、いい雰囲気とは言い難い。

 

ちょっと工夫をして、エネルギーを放つベクトルを変えるだけで、もっと大きく周りを動かせるんじゃないかと強く感じた昼だった。

 

どうせなら元気に仕掛ける側も仕掛けられる側も楽しくなるように活動したい。

面白いアイデアを持っている人がいたら話を聞きたいし、一緒にやりたい。 

 

続く

 

Yuki