いしはらの上京してから。

福岡→東京 就職を機に福岡から上京し、楽しくやっている様子。

「いのち」「自殺」について考えてみた。想像してみた。

あなたは自殺しないと言い切れるだろうか?

 

 

今まで、僕は言い切れてた。

「自殺するくらいならその覚悟で命賭けて事をなせばいいやん。」と思っていた。

 

もちろん今も自分のマインドセットはそうだけど、そう簡単には言えない。

 

中学時代の同級生が亡くなりました。

詳細はわからないけれど、噂に聞くと、自殺だったようだ。

 

学生時代の同級生を失ったのは僕の知る限りこれで3人目。

うち2人はクラスメイトだった。そのどちらも自殺らしく…とても悲しいことだ。

日本の自殺率の高さを感覚的に知らされている。

 

特に先週失った友人は、在学中は仲がよく、卒業してからこそ成人式以来一度も会っていないが、中学3年時のメンバーについては思い入れが強く、本当に悲しい。

いわゆるやんちゃなタイプでガキ大将系のうちの一人だったが、おそらくとても繊細な人だっただけに、原因がなんであれ、自ら命を絶ってしまったことが残念でならない。

そして、そんな彼のことを僕も周りもおそらく知っていて、遠い東京で何も力になれなかったことがとても辛い。

なんなら、ちょうど1年前に同窓会を主催したけれど、そこでなんとか参加させて少しでも関われなかったことを後悔している。

こんな時、友人の葬式にパッと駆けつけられない自分にも嫌気が差した。

 

後悔先に立たず、だから、僕はこの悲しみをいつまでも引きずらずに、前に進まなければならないが、こうやって思うことは、自殺ほど「もったいない」ことはない。

なんとか減らしたい、ということだ。

きっと人間なんて、繊細だけれど単純で、一人誰か辛い時に寄り添ってくれれば、励ましなんかしなくても話だけでも聞いてくれれば、今日を明日を生き抜けるはずなんだ。

 

だけれども、そうはいかず、明日を生きることをやめることを選択してしまう人がいる、そしてその人数が日本は世界一だというのは、悲しすぎる現状だ。

 

 つらいことがあって「死にたい〜」とか言ったりSNSでつぶやいてみたりはよくあることかもしれないが、実際にそう至る人はほとんどいないだろう。

たぶん、自殺はさすがにしないわと思っている人は多いのではないか。

でも、もしかしたら、自分の命を絶たずとも、もしかしたら他人の命を奪ってしまうかもしれない。そんなことになったら、おそらく、精神的につらく、生きてはいても、心は「死んでいる」状態だ。

 

小さい頃から数年おきに人の不幸ごとに遭遇することがあり、都度悲しい思いをしたので、僕は「死ね」という言葉が好きではない。だから絶対言わないように心がけてるし、簡単には死ねとか言う人があまり得意でない。

だから保育園落ちた死ねとかも本当に死ねとまでは思っていなくても、言えちゃう人の気持ちはよくわからない。ただ、身近であまりないのだろうと思う。

 

自分は本当に自ら命を絶つことがないだろうか?
必死で考えた。色んな場面を想像しまくった。

 

あるかもしれない、と思った。

 

結婚し、子どもが生まれ、家族で仲良く暮らす幸せ絶頂の時に、家族が何者かに殺されたら、自分たちの両親までいなくなり、僕だけ取り残されたら…。

 

そんなことを想像したら、おそらく僕は自分を殺してしまう気がする。

想像力を働かせると、自殺する人を責めたりなんかできないなと思った。

 

悲しさをなんとか吐き出したくて筆をとり、何を言いたいか分からなくなりつつあるが、

僕は、この命を失えば楽になれるんじゃないか見たいな、まるでゲームをリセットするかのような状況をなんとかしたいし、死にたくなってからなんとかする、じゃなくて、そんな気持ちにならないためにはどうしたらいいか、ということをこれから先の人生の中でやって生きたい。

 

身近にいる人が辛い時には寄り添いたいし、真剣に話を聞きたい。

困った人の顔を笑顔に変えたいし、正義感に溢れるとかではなく、本当にそうありたい。

地球上全員のは無理だけど、少しでも多くの身近な人が、明日も楽しみになるような存在になりたいと思う。

 

命は大切。この世に生まれたんだから、なんとか自分の生まれた意味を見つけて、生き抜きたいし、生き抜いて欲しい。

あなたは大切な人間だよ、欠けてしまってはならないよ、と多くの人に伝えたい。